「会社は人を幸せにするためにある」に至るまで~「働く」を考える わく歯科医院 今井 進吾さん

兵庫県丹波市にある、医療法人社団わく歯科医院の今井 進吾です。経営管理など主にバックオフィス業務を担当しています。また、2023年に開院した大阪府吹田市の小児科と小児歯科の診療を行う子会社法人の代表取締役として、運営管理や健康食に関する事業を推進しています。

わく歯科医院に入社する前は、さまざまな仕事を経験してきましたが、一貫して「数字至上主義」、「出世がすべて」という世界で過ごしてきました。

そんな私が、今では「会社は人を幸せにするためにある」と本気で信じて働くようになった経緯をお話しします。

野心を抱き、転職を繰り返してステップアップ

大学を卒業し、2000年に水産系の会社に入社しました。

当時は、就職氷河期真っ只中。

「常に努力しないと生き残れない」と強烈な危機感を持ち、全国転勤も異動も長時間労働も受け入れ、義務感と「給料をたくさんもらおう」という思いでひたすら働きました。

今思えば過酷ですが、当時はそれが当たり前でした。

水産物の輸入に関わる部署で営業をしていた頃、外国産の食品に対する不安が高まり社会問題になりました。誤った情報が広がり会社が批判にさらされ、「本当にこんなことがあるのか」と衝撃を受けたのを覚えています。

その後、他部署へ異動しましたが、長時間勤務は続き、今後を考えて初めての転職を決意しました。

次は、高品質な商品を扱うスーパーに就職しました。

魚以外の食品の流通を経験できること、品質の良い物を扱っている点が魅力的だったからです。接客が好きなので店舗への配属を希望し、店長も務めました。

以前は自分の成績だけを考えていたように思いますが、この会社では人に働いてもらうことや催事の企画、仕入れ先との交渉などを通じて、運営や経営におもしろさを感じるようになりました。

転職する気持ちは全く無かったのですが、店長時代に社内の接客コンテストで優勝したことをきっかけに、ヘッドハンターに声をかけられたんです。店舗運営を成功させた自負があったので、「もっと大きな仕事に携わりたい」と食品商社のマネージャーにキャリアチェンジしました。

「動かす金額や社員数が多いほど、より大きな成果が出せるのではないか」と野心を抱いての転職でした。

自分を見つめ直し、転機となった三人との出会い

何度か転勤しながら、西日本全体の管理をする立場として関西に来ました。自分の将来や本当にやりたいことを見つめ直し、経営を体系的に学ぼうと社会人学生として大学院にも通い始めました。

学んだ知識を活かすために9年勤めた食品商社を退職し、産業用コンピューターなどを製造する会社に転職。上場準備チームに入り、多額の資金を動かしながら会社が大きくなっていく過程を経験できるのは夢のようでした。

大学院での学びは、人との素晴らしい出会いにもつながっていきました。

一人は、ミラプロの佐々木 研さん(CH)です。MBAのプログラムで登壇された佐々木さんのお話は、他の講師にはない魅力がありました。「人の能力を引き出すために大切なことは?」といった哲学的な内容の講義に強く惹かれました。

もう一人は、元法政大学教授の坂本光司先生。佐々木さんに推薦された本、『日本でいちばん大切にしたい会社』の著者です。先生が主催する会に佐々木さんの後押しで参加し、坂本先生は、私の経営の師匠になりました。

そして、現在共に働いている和久 雅彦(医療法人社団わく歯科医院 院長)も、私の「働く」意識を変えてくれました。

熱い院長の理念を自分事として、スタッフや地元へ還元

転職して1年経った頃、ある転職サイトを通じて、和久から連絡がありました。一度お会いして、その時は転職意思はないとお伝えしたのですが、その後も毎週のように長文のメッセージが届きました。

何度お断りしても「自分の考えを知ってほしいという純粋な思いから送っている」と、2年間に渡り、熱心に伝えてくださいました。

あるとき、「こんな会社にしたい」と和久から渡された本が 、佐々木さんからも勧められた『日本でいちばん大切にしたい会社』だったんです。

坂本先生の本に再度出会い、驚くと同時に和久との縁を感じました。

もう一つのきっかけは、コロナ禍の最中でした。

感染後に重症化し入院中の私の元に、わく歯科医院のみなさんからお見舞いの寄せ書きが届きました。お会いしたことのない方たちから、ここまでしてもらうと、「入社して恩返ししないと」という気持ちが芽生えました。

当時在籍していた大企業から転職することに不安はありました。

ただ、和久から与えられたミッションが明確だったため、自分の経験や大学院での学びが活かせると思い、転職を決意しました。

入社当初は、意見が合わない場面もありました。

和久が大事にしているのは従業員や取引先、患者さん、そしてそのご家族です。

「成果や数字を重視する」考え方は、ここでは通用しません。取引先も患者さんも、地元の顔見知りの方たちで、「身近な人や地域のためにどれだけ尽くせるか?」が問われます。

何度も対話を重ねることで、やがて「会社や経営は人を幸せにするために存在しないといけない」という和久の理念が腑に落ちたんです。

わく歯科医院が背負っているものの大きさを痛感しています。

現在は、経営も会計もリーダーシップやイノベーションも、すべて「人の幸せに行き着くもの」という判断軸を持って、仕事に向き合っています。考え方が変わると関わる人も変わり、人も売上も利益も増えて好循環が生まれました。これもご縁の力だと思います。

わく歯科医院には、真面目なスタッフが集まっています。

和久の理念や「なぜこの仕事が、患者さんや医院の成果につながるのか」を伝えると、意欲と夢を持って取り組んでくれます。個人や組織との関係性を大切にして安心して働ける環境をつくると、結果的に、売上も伸びていくんだと実感しています。

私は、来年で50歳です。

定年までに、業務をバトンタッチできる仕組みを作ろうと思っています。定年後は、医院の支援や、坂本先生が主催する会へ恩返しのための活動、昔から好きな歴史文学の知識を深めるなど、自分のしたいことに力を注ぎたいですね。

「働く」ことをいかに楽しむか?

新卒で就いた営業職は、内定をいただいた中で条件が一番良い会社だという理由で選びました。営業の適性があったわけではなく、与えられた環境に順応していくタイプなので、いつの間にか営業ができるようになったと感じています。

当時は、「嫌だからやらない」という選択肢はなく、ゲーム感覚で仕事と向き合っていました。決められた目標をノルマと捉えず、「何時までに達成できればOK」、「達成できれば好きなことをする」といったゲームに置き換えていました。

その後の職場でも、「どうせやるなら、いかに楽しむか」を考えて働いてきました。慣れない環境で苦労するのは誰しも同じです。将来のイメージを持てないなら、自分の可能性や働き方のヒントを示してくれる場所や人に会いに行く。

そうすればきっと、道は開けてくると思います。

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ミライ企業プロジェクト事務局

ミライ企業プロジェクト(略して「ミラプロ」)とは、若者と中小企業のミライが共に広がるプラットフォームを創るプロジェクトです。

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