こんにちは。株式会社TRUST Relation専務取締役の武田 和也です。今回は「働く」をテーマに話をします。でも今「働いている」という意識が、実はほとんどありません。会社という器を利用して、自分のやりたいことをどんどん広げている、そんなイメージです。
僕の主な仕事内容は、経理・総務の責任者です。ただありがたいことに、各現場がそれぞれ独立した会社のように収支管理を行い、しっかり結果を出してくれるので、全体の調整をしています。
採用にも力を入れていて、ミラプロで若いみなさんと触れ合う機会や一緒に働きたいと言ってくれる学生に出会うことも増えました。熱量のある学生に入社してほしいですね。次の世代を育てることで自分自身も次のステップに進め、会社のためにもなります。僕がしたいのは、その子たちの夢に伴走することです。
ただ、ここにいきつくまでには葛藤がありました。僕の「働く」に対する意識は、10代・20代・30代・現在と変化してきています。今回は、学生のみなさんと同年代だった10代から今に至るまでの「働く」という考え方の変遷についてまとめたいと思います。
10代から20代後半:「働く」のは夢を叶えるため
「なんで働かないといけないんだ」
10代の頃は正直、そう思っていました。周りが就職するから、親からそう教えられているから、みんなしかたなく働いているんだと。
僕は奨学金をもらって介護の専門学校を卒業しました。奨学金をもらう条件が「卒業後はその専門学校に就職すること」だったので、アルバイトの延長のような感覚で、2年間先生として働き、その後は福祉法人で介護の仕事に就きました。
そしてもう一つ、働くことの動機になっていたのが、音楽活動の資金を集めることでした。その頃、音楽活動・DJをやっていて、「DJとして活躍したい」という夢を持っていたんです。
好きなことができて、生活できるだけのお金があればよかったので、正社員だろうがアルバイトだろうがこだわりはありません。
20代後半までの「働く」意識はそんな感じで、意識が変わったのは、親になったことと会社への違和感です。

28歳から29歳:家族と介護職への思いから安定して「働く」ことを選択
28歳で結婚をして1年間ほど共働きでしたが、妻が妊娠したことで意識がガラッと変わりました。それまでは月末にお金がなくなれば、「2日ぐらい食べるのを我慢すればええか」「3日ぐらい電気が止まってもしゃあないな」 という、漫画みたいな暮らしでも平気でした。
でも、子育てするのにこんな生活じゃダメだと本気で考え直しました。
さらに、当時お世話になっていた福祉法人の経営陣が変わったことも大きなきっかけとなりました。
僕は、介護の仕事が好きです。おじいちゃんおばあちゃんと関わる時間の大切さ、人生の最後に並走させてもらう職種だからこそ触れられる、尊い感情。そんな時間を味わうことができるのは、介護の仕事ならではの醍醐味です。
けれど、経営陣が変わったことで、尊い気持ち・感情を無視するような経営方針に切り替わりました。
これから子どもを育てていかないといけないのに、「この会社でがんばっていきたいか?」と考えると違和感が拭えませんでした。
そのとき、初めて「働く」ことに真剣に向き合いました。
「今は生活を安定させることを優先して、そこからまた好きなことを再開できたらいい」と考え、公務員試験を受験するため学校へ通い、29歳ギリギリで採用試験に合格。
「これで生活はできる」という安心感を得ることができました。
でもどこか、「自分らしくないな」とモヤモヤも抱えていました。
そんなとき、株式会社TRUSTの田井 大介(現・株式会社TRUST Relation代表取締役社長)に出会ったんです。
29歳:つなぎのアルバイトがその後の「働く」を変えた
家に入っていた折り込みに、株式会社TRUSTが新規で介護事業部を立ち上げるという求人情報を見つけました。
僕は介護事業を立ち上げた経験もあり、コンサルティングもしていたので、公務員の仕事が始まるまでの短期でも雇ってもらえるか電話してみました。
そこで知らされたのは、介護事業部の軸となり現場を担当する予定だった社員が退職したことでした。当時の田井は電気業界で働いていたため、介護事業の知見が少ない面もありました。一方の僕は、介護事業に精通しています。こうした偶然が重なり、時給900円でアルバイトをすることが決まりました。
田井と一緒に動いて一ヶ月ぐらいだったかな。「お前、これからも俺と働け」と半ば強引に誘われたんです。公務員の内定をもらっていると話すと、「お前にとって、どっちの人生の方がワクワクして楽しいんや」って言われて……。
そこで再度、人生の方向転換をすることに。4月から公務員になるという前の年の12月のことでした。
29歳:「働く」ために最も大事なことは「誰と働くか」
「おもしろい人生を生きたい」と思っていたので、迷いはほぼありませんでした。おもしろい人と仕事できたら、おもしろい人生になりますよね。
僕のアルバイトの面接をする前に、田井は「面接は、俺が目指したいことを喋る場」だと言って、本当に田井だけが1時間喋っていました。そんな人が、おもしろくないわけがないでしょう。
それに、田井とは縁も感じていました。アルバイトの面接の日、偶然にも子どもが産まれたんです。面接から帰ったとたんに、妻の陣痛が始まりました。子どもの誕生日と面接の日が重なるなんて、縁を感じるじゃないですか。
田井から「明日から仕事に来い」と電話が掛かってきたのは、退院する妻と子どもをちょうど迎えに行ったときでした。「実は面接の日に、子どもが産まれて、今迎えに来てるんですよ」と電話で話したら、「お前、それは俺との縁やで」と田井にも言われたんです。
せっかく決まった公務員ではなくベンチャー企業で働くわけですから、周りからは当然「何を考えてんの?」と言われました。でも、僕が介護の仕事が好きなことも理解してくれていたので、最終的に賛成してくれました。
当時は深く考えていませんでしたが、自分にとって一番大事なことは「何をするか」より、「誰と働くか」だったんだと思います。
とにかく「田井と同じビジョンを目指せば、自分のビジョンと重なる部分があるんじゃないか」と感じたのは確かですね。
